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「魂の自分」が全てを教えてくれる 〜京都 天然石 カウンセリング

宇治市木幡にて心のカウンセリングをしています。 また東京のパワーストーンショップの老舗㈱ナ・ムーよりお預かりしている水晶の原石も販売しております。

あれ?なんで私はここにいるんだ? 2-①

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あれ?なんで私はここにいるんだ? 2-①


 
前回のつづきで、自分の体験からまたお話したいと思います。

ちょっとお恥ずかしいというか、参考になるかわかりませんが・・・
これまでで一番衝動的だった「主人との出会い」のきっかけについて書きたいなと思います。
 
どこかの記事で書いたかわかりませんが、
 私はずっと、この世でやりたいことが無くて無くて、困り果てていた人間でした。
初めにそれを感じたのは、高校3年生の進路決めの頃です。
学校生活そのものは、小学校でも中学校でも高校でも普通に楽しく、特に疑問も感じず過ごしていましたが、”卒業後の進路を決めなさい”という時期になって、

「えっ?何にもやりたいことなんてない、、行きたい学校もない」と気づいたんです。

でも、周りの子は、「○○になりたいから、どこそこの学校を受ける」など、はっきりとした進路を決めているようでした。

先生や親からすれば、この時期に自分の進路を決めて進むのは当たり前というか、しなくちゃならないことなのかもしれませんが、
私にとっては、決まってこの時期にみんながみんな、自分のやりたいことをわかっている状況というのが不自然に感じてならなかったのです。
私が学校生活を人よりぼーっと過ごしてしまっただけなのかもしれませんが(それはそう)
それでも、”自分のやりたいこと”って、自然に湧きあがってきたり、なにか衝動に駆られるような出会いがあったり、それぞれのタイミングで起こるドラマチックなものなんじゃないかなって思うんです。

私にとって不自然に感じたもうひとつの理由は、その時期に流行りの職業だったりを口にしている人が多かったこともありました。「えー、、みんながみんなその職業に向いてるんかなぁ」

今から思うと、自分の進路も決まっていない人間が何を偉そうに、、と思いますが、
そんな「違和感」に関しては人一倍生意気な、ホント、親も育てにくい娘だったと思います^^;

さて

そんな進路決めにつまずきながらも、親が短大に行かせてくれて(今から思うと本当にありがたい)私はまた楽しい学校生活を何の疑問も持たずに過ごしていました。(嫌な予感)

そして、またそれはすぐにやってきて
進路決めの季節。やっぱりやりたいことなんてさっぱりありませんでした。
就職活動も、はじめに行ったところで向こうの上から目線に腹が立って、もう行かなくなってしまっていました。

「20歳にもなって、先生から家に心配の電話が掛ってくるってどういうことなん!!!そんな子おらへんで!!!!」

と、久しぶりに本気で怒られたのを覚えています(><)

私が留守中に掛ってきたみたいで知らなかったのですが、そういえば次の日、学校に行ったら先生が

「あなた、あんなに素晴らしいお母さんがいはるなら心配ないわ!私、もう安心したわ♪」

と言われたのを思い出しました。

私は何のことかわからず”???”だったので、「お母さん、なんか言うたん?」と尋ねると、

「先生、すみません。あんな言うこと聞かん子、放っといてください!あの子はトイレ掃除から始めさせてもらいますので大丈夫です!」

と言ったそうです。

先生は、そんなこと言う親が珍しかったようで、えらく感動しておられました・・・(・_・)?

 
うちの母はいざとなるとマジで厳しい人なので
その言葉を聞いて、”本気やな、、”とさすがに危機を感じました。

それで、自分なりに就職活動を始めて、無事に決まったのですが・・・

 ほどなく不条理な上司にキレたり、社長室に文句を言いに行ったり・・・
「こんな会社で働けない!」(向こうも願ったり叶ったり、、、)と突然辞めて帰ってきたり。

でも、ふと気付いたんです。

私から見れば、みんな何て嘘つきで、社長のご機嫌ばかり伺って、陰ではぶつぶつ言いながら毎日仕事してて変だけど、

こんなのおかしい!!って思うけど

そう思って暴れてるのは私だけで・・・みんなはそれで良しとして過ごしてるんだ・・・

そんなの理解できないけど・・・でも、私がそれを「違う!」と言うことで、結局この場を乱しているのは私なんだ・・・そっか、私が抜ければ収まるんだ・・・

ハッとしました。。。気づいてしまいました。。。空しかったです。。。

でも、それ以外、私も含め、全ての人にとって良い解決方法は他に無いのです、、、

それですぐに辞めました。


しかし・・・家でパジャマのまま過ごす日々、、、

 「あーーー、、これは参った。自分はきっと、どこに行っても駄目だ。社会に適合しない人間なんだ」

と思いました。

両親は共働きでセッセセッセと働きに出て行きます。

ほどなく自分も「こんなことしてたらあかん」と、何気に地域の新聞の求人欄を見ました。

そこでふと目にとまった募集をみて、なぜか迷いなく電話していました。

「30分後に面接に来れますか?」

と言われ

「はい!」と返事をしてしまい。

気づけばパジャマのまま、髪の毛もボサボサ。

「あかん、面接って履歴書要るやん!」

写真もなく、卒業年月日も思い出せず、資格は、普通免許とそろばん3級だけ書いて

慌ててすっ飛んで行きました。

病院の受付だったのですが

ずらりと並んだ偉そうな先生たちと、超厳しそうな受付のおばさまが面接をしてくださいました。

この超厳しそうな方が、私を好いてくださってそこで働かせてもらうことになったんですが(::)

後から話を聞くと、たまたま時間がなく白紙同然だった履歴書が「良かった!」と言っておられました(@@!)

たいした資格でもないものをつらつら書かれるより気持ちがよかったと(キビシイっ)
また、かろうじて書いたそろばんが、まさに会計で使うのに必須だったそうで・・・

そして

元よりやりたいことが無かった分、私は素だったんですが、「お給料は?」とか、「休みは?」などの質問を一切しなかったんです^^;(本当はしたほうがいいと思います)

ただ、「病院の受付、やってみたいな~楽しそうだな~」っていうだけだったので

全然気にしてなかったんです。それが「よかった!」となぜかいっぱい褒めてもらいました。
(こういうの親に話すと怒られる)

ずいぶん後になって知ったことですが、
そこの院長はとても偉い方だったみたいで、患者さんも多くてすごく忙しくて厳しいところでした。でも、厳しいながらも愛のある先輩方に恵まれて、また、お給料も沢山頂けるところで、お休みも多くて・・・何とも恵まれながら数年お仕事させていただきました。


思いのほか余談が長くなってしまいましたが・・・(><)

その病院で働かせてもらっている時期、いつもどうり受付の仕事をしている最中に

びっくりするほどの 違和感

「・・・私は、ずっとここに居てはだめだ!!」

と、あの衝動が突然やってきたのです。

思い返せば、そこから私の人生はようやく幕を開けたのかもしれません。



つづく

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女性
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1975/10/22

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