(統合失調症 ① からのつづきです)
私は幾分落ち着きを取り戻し、本屋へ行き統合失調症の本を2冊買いました。
自分の直感は大軸として置きつつも、正しい知識を少しでも得るためです。
やはり、そこでも同じ認識が書かれていました。
”薬は不可欠” ”治ることはない”
普通ならここで病院に連れていくのかもしれませんが、私にはその選択肢はありません。
よほどの先生でない限り、薬を渡されてお終いなのが目に見えているからです。
(ただし、これは私がOちゃんにとって良いと思っただけのことであり、全ての人に良いのかはわかりません。ここはあくまでも私の体験談としてお聞きくださいますよう、念のためお願い申し上げます)
「そうか・・・」少し不安に駆られましたが、私の直感を覆すほどではありませんでした。
しかし、このまま症状が進むとあまりの恐怖心から自殺に走ったり、他人を傷つけかねないことがわかりました。
なので、
”もしものときは、一時的に薬で抑えなくては危険なこともあるかもしれない”
ことを、私は頭の片隅に置いておくことにしました。
そこから、復活に向けての日々が始まりました。
とりあえずOちゃんに、うちに泊まりに来てくれないかと頼みました。
2月の寒い頃でした。こたつで寝起きしながら、夜な夜な語り続けました。
Oちゃんの感じている世界はとても怖くて、そういったことに免疫があるつもりの私でも、夜中にずっと聞いていると、だんだんその世界に引きずりこまれそうになりました。
でも、私にはOちゃんの感じていることがよくわかりました。
そして、Oちゃんの感じている世界を、恐怖心で見るのではなく、愛の視点で観るよう促しました。
たとえば
”自分は監視されている”と感じるのは、
魂の世界では、 ”全ては繋がっていてひとつだから” だと思ったのです。
私たちの想いは常に、四六時中繋がっていて、ツーツーなのです。
それが真実です。
それは愛なのです。
それを正しく感じずに、”この世的”に解釈すると
”私は四六時中監視されている” ”私は誰かに狙われている・追われている”
となり、その恐怖心が更なる幻聴と幻覚を創り上げ、
気づけば自作自演の恐怖に翻弄されているのではないかと、私は思いました。
相手の話を真剣に聞いていると、ことの本質が見えてくるようでした。
そのためには、聞き手のほうが魂の世界、精神世界に目覚める必要があると思います。
逆に言えば、病気になった人が、私たちにそのきっかけをくれているとも言えるのです。
まずは、相手の話を、うわべだけではなく
「本当のこと」として、「現実のこと」として 受け入れること。
それをせずに、相手をこちらの世界に戻そうとしても、一向に解決しないはずです。
これは精神的なことに限らず、何か問題が起きたとき全てに言えることですが、
解決するために必要なことは、”これまでの自分の意識を変えること” だと思います。
この場合は、その中でも特に本質的な部分、
「人間とは肉体だけの存在ではなく、魂としての存在でもある」ということ。
「見えない世界に気づく」ということが必要だと、私は思っています。
それは、いつしか向きあわなければならないことだと思います。
たとえ今、逃げ出しても
最終、自分の死を迎えるときには誰もが突きつけられる世界だと、私は思います。
「理解したい、知りたい。」
と本心から思えるかどうか。
そして、その想いこそが相手を理解する上で最も必要であり、
一番の愛情だと、私は思います。
つづく