私がおそらく2~3歳の頃、
ある日突然、実父のお母さんが亡くなりました。
気分良く洗濯物を干している時に、突然頭の血管が切れて亡くなったそうです。
理由を聞いたのは随分大きくなってからですが
当時の記憶を、私ははっきりと覚えています。
急遽、京都の田舎に親戚が集まり、あまりに突然の死をみんなみんな悲しんでいました。
いつも一緒にいるはずの父は、なぜか私のそばにいませんでした。
きっと、悲しみのあまり、どこかで静かにしていたのではないかと想像します。
実家のそばにある川にみんなが集まり、何かを覗きこんで泣いています。
”””みんな、どうしたんやろう・・・なに見てるんやろう”””
そう思った矢先、親戚のおばさんが私を抱きかかえ、川を上から見せてくれました。
川を、光る舟なのか、ランプなのかが流れていくのが見えました。
「ひろよちゃん、ほら、おばあちゃんにバイバイは?・・・」
おばさんは、私にお別れを言うように言いました。
まだ、上手に話せなかった私は、
ただただ、不思議に思いました。
だって、そのとき、おばあちゃんは私のそばにずっといたのです。
姿が見えているわけではないのですが、存在感が確かにあったのです。
””” おばあちゃん、いるのに(死んでないのに)なんで? ”””
私はこのときのことを、今でもはっきりと覚えています。
たまに田舎に帰ると、重たい私をいつまでもいつまでもおんぶしてくれた・・・
私が幼いながらも気をつかって
「おばあちゃん、おりる。」
そう言っても
「いいんやで。」
そう言って、いつまでもいつまでもおんぶしてくれたおばあちゃん。
私はその背中から、何て優しい愛を感じていました。
あまりに優しくて温かくて
私は申し訳なくて
でも、おばあちゃんは、そんな私の気持ちさえも知っていてくれていて。
いつまでもいつまでもおんぶしてくれた。
ゆっくり、ゆっくり歩いて
川を眺めながら、生き物を眺めながら
山を眺めながら、空を見上げながら
子守唄をうたいながら
遠くの駄菓子屋さんまで連れてってくれた。
そのシーンが、私が思い出せる一番初めの記憶。
そんなおばあちゃんの、あの感触が
そのときずっと、私のそばにあったんだ。
先日、麻央さんを失った海老蔵さんが
「今日は麻央と一緒に舞台に立っている気がする」
そう仰っていたことを
私はとてもよくわかる。
人は、肉体だけの存在ではない。
本当に魂というのが存在していて
それは、いつだって、今だってそばに感じるんだ。
私は今でも、おばあちゃんを思い出すと涙が止まらない。
きっと、私を愛して愛してやまなかったんだと思う。
そして、今でもずっとずっと、愛してくれているんだ。
何て幸せなんだろう。
おばあちゃん、ありがとう。