自分の身に何か恐るべきことが起こったとき、
人間関係、病気・・・などなど、
”自分は何か良くないんだろうか” ”自分が悪いからこんなことが起こるんだろうか・・・”
そして、そんな「不運」と思えることが立て続けに起こったりすると、その不安はますます大きくなり、先祖の祟りか、もしや・・・何か悪いものでも憑いているんだろうか、、、などと、
もう怖くて怖くてたまらなくなってくる。
以前、家族が
統合失調症になったときの記事でも書いたが、当時Oちゃんは幻聴に悩まされていたから、実際に声が聞こえたりすればその恐怖はなおさらだったと思う。
しかも、その幻聴は救急車やパトカーのサイレンであったり、自分を四六時中監視、実況する声であったり、殺害予告の声であったりしたそうだから、想像を絶するものである。
初めOちゃんは、それが幻聴だとは気づいていなくて、現実世界とごっちゃになっていた。
それを、「幻聴だよ、実際には存在しないんだよ」なんて言っても無意味なのである。
事実、Oちゃんの世界ではその声が実在しているのだから。
こうして聞けば、当たり前のような話だけど、実際に身近な人に突然そんなことが起こって、
翻弄されていく姿を目の当たりにしたら、ついそんな説得をしてしまいたくなるのだ。
一緒に暮らしている家族も、終始、Oちゃんにそう言うしかできなかった。
周りがどんなに説得しようとも、Oちゃんの恐怖心はおさまるどころか、増していく一方に見えた。
私も動転した。どうすれば安心させてあげられるのか・・・
そこで、私はダメもとで自分が恐怖心を感じた時にやっている考え方をOちゃんに言ってみた。
すると、一瞬にしてOちゃんは恐怖心から抜け出したのである。
それは目の前で起こった、一瞬の出来事である。
私 「Oちゃん、その声、怖い声は、神様がOちゃんに聞かせてるんやと思ったらいいねん。
神様が、Oちゃんに、なんでその声を聞かせてるんか、意味があるんやと思うねん。」
Oちゃん 「そうか!神さんが聞かせてるんか!」
この一言を読んで、皆さんはどのように感じられたでしょうか?
念のために申し上げますが、うちは何か特定の宗教に入っている家庭でもありませんし、特別何かを拝んでいるわけでもありません。
ここでいう”神様”とは、自分(自我)を超えたもの、です。
それは人それぞれ、何でもいいと思うのです。
””
あなたにとって、自分を超えた存在で、信頼できるものって何ですか? ””
そう聞かれたときに、ふと浮かぶものって何でしょうか?
私とOちゃんにとっては、それが「神様」という言葉であり、ある人にはそれが「音楽」かもしれない。
「両親」とか「おばあちゃん」とか、それを想像すると、不思議と心が安定するもの。
あなたに安らぎや勇気を与えてくれるもの。
いつでも、つい、恐怖心に飲み込まれそうになったとき、
自分の中だけで考えていると、誰でも抜け出せなくなると思うんです。
それが自我であり、大いなるものから離れてしまっている状態。
その状態から抜け出さないといけない。
(抜け出すと、一瞬にして大いなるものに包まれ、安心できる感覚)
本来、それはいとも簡単に、一瞬にして出来る(起こる)ことだと思います。
(そうは言ってもなかなか難しい、だが決して忘れてはいけない)
人は、幸せになるために生きていて、全てはそのために起こっているということ。
いついかなるときも、その真理から離れてしまわないように、辛いときこそ思い出す。
死んだおばあちゃんが私のことをあんなに愛してくれたんだから・・・今もおばあちゃんは私を見守り、愛してくれてるんだろうな・・・そうか、それなのに悪いことが起こるわけがない!
大丈夫だ!!
そんな風に素直に思えるものがきっとあると思います。
もし、「今はそんな風に思えるものなんてない!」と思っても、
実際に今、この瞬間、私たちはとてつもなく大きな愛のなかで生きている。
それを忘れてしまっているだけです。
私も、もっとそれを思い出したい、そしてずっとその安らぎから離れずにいたいなぁと思って生きています。
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