私はとにかく身体が弱かった記憶がある。
アレルギー体質でいつも身体のどこかがただれていたし
小児ぜんそくもあって、学校までの道のりや、教室へあがるまでの階段も、半階上がっては壁にもたれてしばらく休み、また残りの半階をあがってようやく二階へ。そんなペースだった。
もう気づいたときからそんな調子だったから、そのこと自体を特に悩んでいたわけではないが、
それよりも何よりも、私は自分がこの世界で生きていることが不思議でならなかった。
気づけば、何の説明もなく人生が始まっていた。
「ちょっとまって。まず、何のためにここにいて、何のために毎日を生きているのかの説明が欲しい。誰か知ってるひと、いいひんの??」
そんな気持ちだった。あるとき両親に、
「ひろよらさ、宇宙に浮かんでるんやんな?なんで落ちたりせえへんの??」
確か、そんな感じの質問をしたと思う。(子供ながらに、できるだけ現実的な質問をした記憶がある)
そのときに父が「そやねん、それを考え出すとわけがわからんのや (笑)」
父はとても同感している様子だった。
だからこそ、私は衝撃をうけた。
”” えっ、、お父さんもわからんの!? ””
ヤバイ・・・と思った。大人もわからないなんて・・・!
内心すごく焦ったのだ。
思い返せば、このときに
自分の疑問はあまり軽々しく人に聞いてはいけないような、そんな気持ちを覚えた気がする。
そんな感じで
そもそも生きていることに気持ちが追いついていないし、そのせいだったのか身体も弱かったしで、
私は二度ほど、両親に真剣に相談したことがある。
「ひろよ、老人ホームに入りたい・・・。」
ちょっと面白いけど、マジだった。
娘の真剣な申し出に、母は「そんなこと、言わんとって、、、」
と、困ったような、心配そうな表情をしていた。
私は明るく元気な子だったけど、反面とてもナイーブだったと思う。
学校から帰ると、同年代の子とも毎日のように遊んだが
たまに
近所の一人暮らしのおばあちゃんのところへ行って、二人で話して過ごしたりもした。
何となく、そのおばあちゃんが寂しがっているような気がしていたからだ。
でも、私もそのおばあちゃんと一緒にいると安らいだ。
私は今でもそうだが、子供の頃から自分の内面というか、魂の年齢はとても高齢な感じがする。
ずっと、自分の中身はおばあちゃんのような気がしているのだ。今でもそう。
だから
そのおばあちゃんとも、普通にお友達のような、気が合う感覚があったのだと思う。
あ、そうそう
その頃、毎週日曜の朝は、確か随分早起きをして「おはようゲートボール」という
一般のおじいちゃん、おばあちゃんたちが、楽しそうにゲートボールをしている番組をみるのが楽しみだった!日曜の朝は、絶対にそれを見ないと始まらない。見逃すなんてありえなかった(笑) 同じ人、いるかな。
今、真ん中の娘が9歳でそんな感じかもしれない。
たまに、生きていることをとても不思議に思っているみたいだ。
学校から帰ってきてすぐ、
「お母さん、今日な、学校で授業中に、人間ってなんでこんな風に手を動かせるんやろう、何で毎日学校に来てるんやろう、何でお友達って出来るんやろう・・・?そんなこと考えてたらそのことで頭のなかがいっぱいになって、先生の話し、聞けへんかった (^^;)」
と、息を切らしながら、元気いっぱい、可愛い顔で私にそう話してくれた。
私は何て素敵な子なんだろうと思った!
あ、そういえば
そのとき私も父と同じような答えをしたなぁ。
「ほんまやなぁ。不思議やなぁ。ママもそれ、知りたいねん (笑) そういうこと考えるってすごく素敵やと思うよ!」
「そう??(^^)」
そして、心のなかで
”” そういうことを、学校でみんなで考える ”” ってダメかな~~
と妄想にふけっていた。
みんなで一緒に、そんなこと考えたいなぁ。・。
不思議、不思議。本当に不思議だね。
今、こうしてみんなと一緒にいることが(^^)