上手く説明できるかわかりませんが
最近、とても大切なことを知ったので書いてみようと思います。
今の私は、カウンセリングをしているとき、その方の苦しみを同じように感じるところから始まります。とはいえ、確認しようもありませんし、確認したところでその全てを感じているわけではもちろん無いと思うのですが、お話を聞いていると、その人の苦しみ、身体の痛み、感情が伝わってきます。
そして、その苦しみを感じながら話をして、楽になっていく感じがあるかどうかを確認しながらお話しているのが自分の今のスタンスです。(しかし、これはまだ私が未熟な証拠だと思います)
最近、統合失調症のような症状に苦しんでおられる方のお話をお伺いする機会がありました。
統合失調症の特徴的な症状は幻聴や幻覚があるみたいですが、
その方は「これは幻聴ではないと思う。誰か他人の声が聞こえるわけではない。自分自身の心の声だと思う」と仰っているとのことでした。
なので、「これは本当に統合失調症なのか疑問を感じます」と仰っていました。
私自身、家族の体験以外はその病気について詳しくないので、判断はできませんが、
そもそも精神疾患自体、「この病気だ」と判断することにあまり意味を感じません。
これは、私が医師ではなく、カウンセラーだからというのもあると思いますが、
私にとって病名は単なる目安にしかすぎず、とにかくその人が今、感じていることそのものに興味があります。
一体、この人はどんなことを、どんな風に感じて苦しんでいるのか?
そしてそれを正しく理解したい、知りたいと思っています。
これは自分自身、そして人間を知ることそのものだからです。
誰かの苦しみは、大なり小なり、みんなに共通する悩み、苦しみなのです。
みんな一緒なんです。実はみんな同じことで苦しんでいるのです。
今回も毎日のようにお話を伺いながら、
「一体、その方はどんな風に声が聞こえているのだろう・・・」と深く興味を持ちました。
「どんな風に自分の声が聞こえていて、どんな風に苦しんでおられるのだろう」
と、”知りたい” ”理解したい” 気持ちに駆られました。
そんなある日・・・ふと自分が幻聴を聞き始めていることに気づきました。
初めはこれが幻聴だとは思いもよりませんでした。
自分の心の声だと思っていたのです。
しかし、ここ最近は少し疲れが溜まっていたのか、それが顕著になっていて
人と話していると、逐一自分を否定してくる声が聞こえるようになっていたのです。
ある朝主人に、「今、こう思ったんでしょ!」と聞くとびっくりして、
「そんなこと思ってないよ?!」と言うので、そんなことが重なったことでハッと気づいたんです。
「これが幻聴・・・なのか!」 と。
でもここからが大切なんです。人はこのように度が過ぎて、自分の感情がままならなくなってからようやく「幻聴だなんだ、病気だ」と慌てますが、これ、みんな毎日毎分、自分自身を責めたり追い立てたり、私も小さい頃から自分自身に、他人に、そして子どもが生まれてからは躾だと信じてやっていたことと同じだと気づいたんです。
「ああしなさい、こうしなさい」
「あのとき、こうしなかったから、こうなったんだ」
「今日はこれが出来なかったなあ。。」
「自分はまだまだダメだなぁ。」
などなど、自分自身を責めること、他人を責めること、
人のありのままを認めない想い、発言・・・その全て!
「いや、これは常識だから」そんな例外は一切なし。
私、この幻聴に気づいたとき、実際に聴こえてはいるんだけど、
「これは”幻”だ!」と見抜いたんです。
今から思うと、なぜそう思えたのかはわかりません。
相手が信頼できる主人だったからというのはあると思いますが、
とにかく実際には聴こえるんだけど、まさに字のごとく「幻」なのです。
そう気づくと、世の中はみんなのそんな想いで溢れかえっていることに気づきました。
友達と話していても、人の世間話が聞こえてきても、テレビをつけても、誰かのブログを読んでも・・・
みんなみんな、自分を責めてる。誰かを責めてる。
(表向きはそんなに否定的に書いてなくとも)
それがまだ自分の中で処理できているうちは、
「自分を律して頑張っている」「これなら誰かに責められることはない」
そう思って、そう信じて生きている。
でも実はストレスを感じているんです。それがたまたま誰かにどっと押し寄せたとき
その人が病気という状態になって、健康なふりをした私たちに見せてくれているのです。
「もう、こんな苦しいことはやめよう」
幻聴が幻だと気づいた私は、「そうか、実際に誰かの口から発せられる悪口や非難も、全て架空のものだったんだ」と気づいたんです。
あるのは、ただ、ありのままの自分・・・
そこから外れたものは全て、空中を漂っているような、実体があるようでない、架空のものです。
例えるなら、
ありのままの姿で立っている木に、文句を言っているようなものです。
「あなたもあの木みたいに、〇〇になったほうがいいんじゃない?」
「ここじゃなくて、もっと日当たりの良い場所に生えたほうが良かったのに」
そんなことをひたすらブツブツ言って生きているようなものです。
そして、木が、その言葉を気にして、そのように頑張らないとと思って苦しんでいるようなものです。(実際、そんな言葉を掛け続ければ枯れてしまうかもしれません。)
そういうもやもやとした、実体のないものが、みんなの頭の中を行ったり来たりしているのです。
そのようなものに、みんなも大なり小なり悩まされて生きているのです。
追い立てられ、責められて。
誰が私に何と言おうと、誰があなたを否定しようと、全く気にすることはない。
そんな言葉、何一つ的を得ているものはないんだと。
神様が、私はありのままで良いと言っているんだから。
神様が、皆をありのままで良いと言っているんだから。
そう気づいたら
私の頭の中がしーんと静かになった。
生きているだけで頭の中を行ったり来たりしていた
自分を律しようとする声、「ああしなきゃ、こうしなきゃ」「次はあれをしてこれをして・・」
「もし、こうなったらどうしよう」「またこうなるんじゃないか」
「ほら、いわんこっちゃない」「また失敗した」
そして
いつか誰かに言われた、思い出すと嫌な気持ちになる言葉が思い出せなくなっていた。
私はこの方と出会って、お話を聞かせてもらうことで、出会う前の自分よりも楽になりました。
この場をお借りして、皆さんにも少し共有させていただきましたことと、お話をお聞かせくださったことに感謝します。ありがとうございました。
そして、その方も一日も早くお元氣になられますように祈っています。
みんながありのままで、明るく優しい世の中でありますように。
長くなりましたが、読んでくださってありがとうございました。
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