大切な家族がある日突然、精神的に参ってしまったとき、
側でそれを目の当たりにすると、まるで人が変わってしまったようで驚くだろう。
会話もまともに通じなくなるし、挙動不審になるしで
日に日にこちらの恐怖心は募っていく。
”もう、ダメなんじゃないか” 何をどうすれば良いのかわからない。
薬は飲ませたくないが・・・結局はお医者さんに頼るしかなくなるのが現状なんじゃないだろうか。
いやだ、そんなの絶対に嫌なんだ!
私のときも、そうだった。
ちっとも話しすら聞けないお医者さん(もちろん、中には素晴らしい先生もいらっしゃるだろう)に、ただ薬だけ渡されて、ただ単に病人扱いされて、
私の大事な大事な家族が・・・あっさりと見捨てられてしまうような、そんな現場なんて
想像すらしたくない。
どうしても、嫌なんだ!
じゃあ、どうすればいい?
家族のなかで、誰か必ずいるはず。
その人の心がわかる人、その人が一体何を感じているのか?何をいわんとしているのか?
私たち家族に何を気づかせようとしてくれているのか?
それを、真剣にわかろうとする人、分かる可能性のある人が、必ずいるはずだと私は思う。
怖い、私にわかるかな、でも・・もしかしたらわかるかもしれない、わかりたい!理解したい!
たった一人でもいい、家族の中で誰か一人が、人間の常識を飛び越えて、これまでの枠を飛び越えて、声なき声と対話できるようになること。
それは、その人を通じて神様と対話するようなこと。
その人の表向きの不安定さに騙されないで。
その奥を見る。じっと見つめるような感じ。
ジッと見る。よく見る。
自分の判断を入れず、ただ見るような感じ。
すると、その人が何を感じているのか、何を言っているのかが、本当の意味で理解できるようになる。
それは、赤ちゃんの気持ちをわかってあげたい一心の母親が、その鳴き声で、「あ~」とか「う~」とか、言葉になっていないような声から、気づいてあげれるようになるのと同じだと私は思う。
”赤ちゃんはまだ喋れないから、何を欲しているか、何を伝えようとしているのかわからない。”
これは、普通の感覚。
でも、そこを超えたい!
そう思った時に、懸命に語りかけてくるその子をじっと観察していると、ある時なぜか、わかるようになるんだ。
私たちは肉体だけの存在じゃない。魂としての存在でもあって
そこは、言葉を超えた世界。
意識が全て繋がっている世界。だから、誰とでも理解しあえる。
家族の中の誰かが、その世界へ飛び出ることが出来たなら
あなたと繋がっている皆も、その世界へ飛び出すことが出来る。
この世の縛りから抜け出すことができるんだ。
あなたは、皆を救うことが出来るんだ。
そのとき、その精神的に苦しんでいる大切な家族も、きっと目が覚めるようにして
ある日突然に、治ってしまう。
私もまだまだ未熟だけど、自分のカウンセリングでは、その「見る」という感覚を
ぜひ、ご家族の方に見てもらいたいと思う。
私がその方と、どんな風に向き合っているか、その様子をできればご家族に見てもらいたい。
そして、他人の私なんかより、これまでずっと一緒に過ごしてきた
信頼できるご家族の方にそのように接してもらえたら、きっとその人は良くなると思う。
私が石を通じてメッセージをお伝えしているのも、全く同じことだと思う。
それこそ、全く言葉など発しないのに
その方が選んだ石を手にとって、じっと見つめると、じーっと耳を、心を澄ますと
ふっと、言葉や映像が浮かんで見える。
私にはそれが何を表しているのか、全くわからない。
私はその人のことを知らないのだから。
私はただ、自分が感じたことを、感じたままに伝えるだけ。
そこから自然と会話が繋がり、カウンセリングが進んでいくのだ。
ということは、私たちは自然とも繋がっているということ。
人だけでなく、自然ともツーツーに繋がっている。
私たちは元々、そんな存在だったんだ。
いつだって、自然と共にあったに違いない。
精神的に参ってしまった人、繊細なその人は
私たちにそのことを伝えてくれている。
””
もう一度、自然に還ろう ””
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